大野治長ガチ勢

お昼ご飯 何食べたんだろう?

大野治長の 家族と家臣

大野治長の家族、親族、家臣のメモ

小説や劇の設定ということもありえますので、どの資料に記載があるのか調べていく必要がだいぶあります。

 

家族、親族

氏名 続柄 生没 メモ 出典in一次資料 出典inその他、資料の確認が必要
大野治長 本人 ~1615/5/8(※1) 修理大夫(※1)/修理亮 駿府記(※1) 新東鑑,大坂の陣豊臣方人物辞典
南陽        wikipedia
大野治徳=頼直=長徳=弥太郎 嫡男(※1)子(※2) 1598~1615/5/8(※1) 信濃守(※1) 駿府記(※1)長澤聞書(※2) Wikipedia,大坂の陣豊臣方人物辞典
大野治安=弥十郎=彌十郎=弥七郎 次男       新東鑑,Wikipedia,大坂の陣豊臣方人物辞典
葛葉?       新東鑑,大野修理の娘(小説)
大野定長=半二郎治武 〜1599/3/4 佐渡   歴史と旅,大坂の陣豊臣方人物辞典
大蔵卿(※1) 母(※1) ~1615/5/8(※1) 浅井茶々(淀殿)の乳母 駿府記(※1)  
大野治房 弟(※1)長弟?次弟?   主馬(※1)/主馬首/主馬正 駿府記(※1) 大坂の陣豊臣方人物辞典
大野大禄=田辺某 次弟?       大坂の陣豊臣方人物辞典
大野治胤=道犬 三弟?       大坂の陣豊臣方人物辞典
大野治純 弟(※1)四弟? ~1615 壹岐守(※1)/壱岐 駿府記(※1) Wikipedia
大野上官 曽祖父   石清水八幡宮別当   大坂の陣豊臣方人物辞典
大野治定=大野彌介治元 祖父 〜1590/11/13 伊賀守/尾張知多生まれ?/越前朝倉浪人/織田家に仕える/初代大野城   新東鑑,大坂の陣豊臣方人物辞典
尾関佐渡守の娘 祖母       歴史と旅
大野隼人正 大叔父/祖父の長弟   石清水八幡宮別当   大坂の陣豊臣方人物辞典
大野右京=田辺彦四郎 大叔父/祖父の次弟   徳川義直に仕える   大坂の陣豊臣方人物辞典
尾関源内 叔父/父の長弟 〜1584?     歴史と旅,大坂の陣豊臣方人物辞典
大野才兵衛治久 叔父/父の次弟 〜1630/10/14 現代まで子孫残る   歴史と旅,大坂の陣豊臣方人物辞典
尾関右馬之助 叔父/父の三弟       大坂の陣豊臣方人物辞典
大野八兵衛治実 従兄弟       歴史と旅
宮田平七 従兄弟   治長の家臣   大坂の陣豊臣方人物辞典
毛利吉政 従兄弟       大坂の陣豊臣方人物辞典
宮田甚之丞安則 従兄弟   毛利吉政=勝永の家臣   大坂の陣豊臣方人物辞典
めい   後藤又兵衛の妻   歴史と文芸
後藤又兵衛 めいの夫       歴史と文芸
赤尾庄左衛門 親類       大坂の陣豊臣方人物辞典
真野頼包 おじまたはおばの夫?       若江堤の霧(小説)
青柳? いとこ? ~1616 真野頼包の娘、木村重成の妻、大蔵卿のめい   若江堤の霧(小説)

こんな感じの家?メモ

祖父以前→石清水八幡宮神職の家系

祖父→神職を継がずに尾張へ流浪してきて織田家に仕える(実家は弟が継ぐ)

祖母→その土地の豪族の家系

ここまで織田家に仕えて尾張に領地を持っていた家だが、そこから

父→秀吉に仕える(実家は弟が継ぐ)

母→浅井茶々の乳母

となる経緯がわからない。

母は結婚するお市について織田から浅井へ同行したのだろうか……

そうなると子が生まれたときに必要で呼ばれた乳母ではなくて、最初から市のそば付きだったことになるけど、まあでもそばにいた女性がたまたまそのタイミングで乳が出ていたらじゃあ乳母にとなったのかもしれない。

考えること

・本当の意味の乳母なのか、そばについていた世話係なのか

・父が秀吉に仕えるまでの経緯

石清水八幡宮の方はずっと残っていたのか、例えば秀頼が寄進したときにも大野家の親戚がまだ勤めていたのかな

家臣

氏名 肩書 生没 メモ 出典(一次資料) 出典(その他)資料の確認が必要
北村善太夫(※1) 家老(※1)     駿府記(※1)  
大野彌五左衛門(※1) 家老?(※1)     駿府記(※1)  
米村權右衛門(※1)=権右衛門 郎従(※1)   草履取り出身 駿府記(※1) 新東鑑